「皆で揃って動く」ことには、不思議な魅力があります。合唱やダンス、音楽のユニゾン。心を合わせて一糸乱れぬ動きをした時の感動は、私たちの心を打ちます。ですが一方で、「それが強制だったら」と思うと、同じ“揃い”でも不気味に感じたり、怖さを覚えたりすることもあります。
この違いは何なのか。ある舞台を観劇した際、少女たちが同じセリフを発しはじめる場面に「ぞわっ」とした感覚を覚えました。何が違うのか。それは“自発性”か“強制”か、ということだったのです。
シンクロナイズドスイミングや音楽のユニゾンは、個人の意志が合わさった結果です。一方で、マスゲームのようなものは「やらされている」感が漂うと、見る側も違和感を覚えます。しかしこれも、実は私たちの中にある「偏見」や「刷り込み」によって感じているのかもしれません。メディアや教育によって「これは良い」「これは変だ」と知らず知らずのうちに信じ込んでいることが、少なくないのです。
「これは正しい」「これはおかしい」とすぐにジャッジする前に、自分の“ものの見方”を疑ってみることも大切だと思います。情報の出どころをたどり、自分の感覚を確かめ、主観を磨くこと。それができれば、周囲の空気に流されず、自分の軸で判断ができるようになります。
演劇を観ながら、そんな気づきがありました。皆で揃って何かをすること。それ自体が悪いわけではありません。むしろ、人と人が心で繋がり、自然と一致していく瞬間には大きな感動があります。でも、それが「形だけの一致」になったとき、私たちは知らず知らずに違和感を覚えるのです。
だからこそ、自分の感覚を丁寧に扱いたい。そして、自分自身も「心からの共鳴」で人と関わっていきたい。そんなことを、改めて思いました。