徳を積むこととは、善い行いをすること
友達が仕事を辞めました。その理由は、上司である社長の「人德のなさ」に耐えられなかったからです。
社長の「德」がないという話を聞いたときに、ある公認会計士の方のいったことを思い出しました。
会社が倒産するのはまずこの「德」がなくなるからだと言っていました
「德」というのは、自分が積んだものと先祖が積んだものの二つがあります。
たとえ自分が何もしなくても、先祖が積んだ「德」があれば、会社や人生がうまくいくことがあります。
しかし、いずれその「德」を使い果たしてしまうと、自分自身も「德」を積まないと子々孫々に繋がらなくなります。
例えば、先祖伝来の土地があったとします。その土地で米を作ったりして頑張ってきました。
しかし、景気が良くなると、その土地を売って換金してしまうことがあります。お父さんやおじいちゃんが頑張って築いた財産を売り払い、孫はそのお金を受け取りますが、何もしないままだとそのお金もいずれなくなります。その結果、大きな家を維持するための費用がかかり、それが払えず、人手にわたることもあるのです。
徳を積むこととは、善い行いをすることです。悪いことをせず、いい事をして、自分の心身を浄めることです。
ご両親、ご先祖が相続したものは、財産だけではありません。
この身体もまた、授かったものです。その身体を大切することは、良いことなのです。
身体だけでなく、心も整えることは必要なことです。
例えば、神社仏閣にお参りに行くことがありますが、それは「縁日」を通して心を清らかにするためです。お祭りの出店などは、経済活動の一環ですが、
その本来の目的、つまり心を整えることを忘れてはいけません。
経済活動は結果的に利益、富をもたらしますが、それだけでは不十分です。
人としての心の清らかさを保つことも大切です。
現代の法律では合法であっても、人としての道徳や感情を無視してしまうことがあります。
それが曖昧であるために、法的には問題がなくても、感情的には受け入れられないことがあります。
だからこそ、理性的な判断と感情的な理解の両方が必要です。
自分自身でしっかりと分析し、正しい行動を取ることが大切です。
今日はそのことを考えてみました。